CrudeDrug:Ginseng Radix
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人参 (Ginseng Radix)
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人参と紅参はウコギ科のオタネニンジンPanax ginseng C. A. Meyerの根を基原とする。形態が人の形に似ていることから名付けられた。これ以外に薬用の人参類には、トチバニンジン Panax japonicus C. A. Meyerを基原とする「竹節人参」と、アメリカニンジンPanax quinquefolium Linnéを基原とする「西洋人参」がある。竹節人参は1642年、明国末期の内乱を逃れて移住した何欣吉が、宮崎県日向で人参の代用となるものを見つけたもので、日局に「チクセツニンジン」として収載されている。「西洋人参」は華僑がアメリカ・カナダで見つけ、産地を隠し「広東人参」として中国市場に流したもので、日本市場でもわずかに流通する。 人参は本来、野生の「野山人参」の生干し加工品であったが、その後に栽培が始まった。オタネニンジンの栽培技術は日本で確立され、朝鮮半島・中国などへ栽培技術が伝えられたもので、各地に栽培が広がり栽培人参は「園参」と呼ばれ、数々の加工方法が生まれた。日本では「東洋参」と呼ばれる湯通しした「雲州製参」、朝鮮半島の開城では「高麗参」と呼ばれる蒸気で蒸した「紅参」、韓国の錦山では皮去り後に側根を丸めて乾燥した「曲参」などが加工方法として確立された。(より詳しく見る→栃本天海堂創立60周年記念誌) Picture
蝦夷地栽培の歴史江戸時代には蝦夷地での各種薬用植物栽培が開始されている。そもそも家康は慶長17年(1612)松前藩にオットセイの陰茎(タケリ)を精力剤として献上させたことが記録に残っている。その他、オクリカンキリ(日本ザリガニの胃石)、ムラサキ、熊胆なども採集された。 享保19年(1734)8月17日、松前主馬は徳川吉宗より人参栽培を命じられる。蝦夷地栽培が開始され、その内容は「蝦夷記事」に記されている。当初は成功しなかったが、安政3年以降、本格的な栽培が会津藩出身の黒河内五八郎により七重御薬園で始まり、明治まで続いた。人参は函館港の重要輸出品であり、最高輸出額は文久2年の4.627kg(2万ドル以上)である。御薬園は後に北海道勧農試験場を経て北海道農業試験場となった (北海道大学北方資料室)。 明治、大正時代になると、人参を上湧別、下湧別で、川芎を石狩、虫亡田で栽培している。その後、伊達村や富良野でも開始され、昭和5~6年には川芎、芍薬、牡丹、貝母、人参、桔梗などが大量に生産された。現在、北海道でもっとも生薬を生産しているのは北見訓子府町である。
人参
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