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狂った芸術家を目指そう

有田正規 「狂った芸術家を目指そう」 (特集「良い研究環境を見つける・作る」) 科学 73(3), 岩波書店 274-275, 2002

産業技術総合研究所 生命情報科学研究センター 科学技術振興事業団 さきがけ21研究員 有田 正規

サイエンスは芸術

「科学」の執筆依頼状を読むと、企画の理由とし て「(若手研究者が)自分の長い研究者人生をイ メージして進路を決定することは難しい(から)」 とある。しかし、どんな助言をもってしても研究 者人生をイメージなど出来ないし、する必要もな いだろう。その時に面白いと思う研究をやればよ い。テーマはいつでも変えられるのだから、自分 のやりたい事をすればよい。

ただ、サイエンスは芸術である。よい研究はエレ ガントだし、研究者の個性が出る。だから美しい 成果を目指したほうがよい。猿真似の研究はつま らないし、時代も超えない。論文数を増やすため に初めから努力賞を狙うことは止めるべきである。 (学位を取るときだけは例外かもしれない。)

自分の経験

とは書いたものの恥ずかしいことに、自分は修士 になるまで何をしたいか決められなかった。情報 科学科へ進学したのも、計算機ならどんな分野に も役立ちそうに思えたからである。自分を今の専 門(バイオインフォマティクス)へ導いたのは、 在籍していたH研究室の先輩が読んでいた「遺伝 子スイッチ」という一冊の本であった。λファー ジという大腸菌ウィルスの感染メカニズムを平易 に解説した名著で、この本の内容を計算機でシミュ レーションしようと試みたのがきっかけである。 自称「猛獣使い」のH教授は修士の学生にも自由 に研究をやらせてくれた。

研究室に寝泊まりしながら好き放題おこなった修 士の2年間で実感したのは、少ないデータから役 立つ結果は得られないという知見だった。生体シ ミュレーションの殆んどは、人間が既に頭の中で 作り上げたモデルを計算機でなぞって自己満足し ているにすぎない。そこで博士課程に進学すると もに研究室もテーマも変え、DNA計算という分 野に熱中した。慣れない生物実験をしながら、D NAで本当に計算ができるのか自分で試してみた。 1年後、このテーマは博士論文が書けないと思っ た。実験精度が低く予測通りの結果が得られない。 また、理論だけでは実用にならない可能性がある。 そこでどうしたか?シアトルのワシントン大学に 移って、再びテーマを変更した。シアトルでいく つかのテーマを経ながら最後に落ち着いたのが、 今も継続する「代謝の電子化」という研究である。

博士課程の間にシアトルに行ったと話すと休学し たと思われがちだが、そんな必要はない。大学に は研究指導委託という制度があり、国外の先生で も研究指導者にしてしまえば単位が取れる。では 海外の研究先をどうやって見つけたかというと、 自分の履歴書と意気込みをEメールしただけであ る。推薦状もなかったし、相手側が学生を募集し ていたわけでもなかった。だから、もし下に就い てみたい研究者が海外にいるならば、まず手紙を 書いてみたほうがよい。「叩けよされば開かれん」 という言葉は本当である。

通産省の電子技術総合研究所に就職したとき、研 究テーマを変更することは可能であった。研究者 の天国と呼ばれた研究所で放し飼いだったため、 思い切って新しいテーマに挑戦することもできた と思う。しかしそこで思い出したのは、前出のH 教授の「研究はねちねち続けたほうがよい」とい う言葉である。博士課程で築いた理論は、実用と するにはまだ不備な点が多かった。そこで役に立 つ代謝のシミュレーションを目指し、正確な代謝 データを全て自分で作り直す作業に着手してきた。

研究は情熱

自らの手でデータを用意する作業は、非常に泥臭 くエレガントとは言えない。しかし、最終的にエ レガントな結果を導くために必要な作業の労を厭っ てはいけない。いくら面倒でも、真理を追究する 姿勢は保つべきである。日本の若手研究者の環境 は言われるほど劣悪ではない。欧米も日本に劣ら ぬ偏差値社会である。日本の研究者に欠点がある とすれば、それは「大人である」ことだろう。す なわち慣習だとか将来のことを考えすぎている。

「研究に狂ってください」というのは北大のT 教 授から頂いた言葉である。これまで海外の研究室 もあちこち訪ねてきたが、往々にして欧米の研究 者は無邪気に見える。すなわち子供のような探究 心を持ち、研究に狂っている。情熱を持って研究 に狂うことで、結果的によい成果に結びついてい る。芸術家を目指して一緒に狂える人を待ってい ます。

システム生物学がかもすもの

有田正規 「システム生物学がかもすもの」 バイオサイエンスとインダストリー 65(3), p.139, 2007

システム生物学という授業を長らく担当しているが、本質は何かと聞かれると困ってしまう。「遺伝子やタンパクなどパーツを網羅的に調べていた時代から、全体をシステムとして捉え、まとめる研究へ」などと言われるが、今までも立派な生物学者は全体を見据えて研究をしてきたし、システム生物学によるブレイクスルーや金字塔的な成果はない。システム生物学という“雰囲気”はむしろ、パラダイムシフトがあったかのように思わせて政府や企業からお金を引き出す手口の一つとして使われている。この手口はシステム生物学に始まったことではない。ポストゲノムやオームだって同罪である(OmeOme詐欺)。何にでもオームをつけたがる人がいるが、そんな研究をみて興ざめする人は多いはずだ。

なぜ雰囲気をかもす活動が研究と勘違いされ、研究者がそれに踊らされる時代になったのか。原因は政治が科学に関与し始めたことと研究者人口の増加だと思う。前世紀末、世界の覇権には基礎科学が重要だという認識が広がり、先進国間で基礎科学の強化を競うようになった。日本も大学院重点化という国策をとり、研究者数を増やして競争制度を導入してきた。プロジェクト制の国家予算を引き出すには、耳あたりのよいキーワードが要る。プロジェクトマネーで研究や雇用関係が創出されれば義理が生じる。こうして、お金を獲得する人は偉い、コピーライターは偉い、という風潮ができてしまった。お金や人手のかかる研究は再現や検証が難しい。どんなに切れ味が悪くても一流学術誌に載る可能性は高い。結局、大学院重点化や科学予算増額で量産されたのは、キャッチコピーに彩られたブルドーザー研究と、歯車研究者である。食い扶持のないポスドクや大学院生には、科学コミュニケーションのような落ちこぼれ対策まで打ち、事態は混迷を極める。

夢のない研究者の増殖は日本において特に顕著である。ヨーロッパの学位は非常に狭き門であり、学位取得者が尊敬される伝統を持つ。良くも悪くも個々人が独立した研究者として機能しており、システム生物学のような疫病にも感染しにくい。それに対し、アメリカは流行に過敏であるように見える。しかし実際は、少数の一流大学がしっかり手綱を握っており、秘密裏に世界戦略を練っているのだ。そしてアメリカには世界中から優秀な学生が集う。(お金のかかる初等教育は他国に任せ、育った優秀な上澄みだけを掠めるのがアメリカの戦略である。)だから、日本が研究者数を増やしたところで、ヨーロッパの基礎科学にもアメリカの応用科学にも追いつけないのは明らかである。

そんな事情を踏まえ、授業では、システム生物学などの流行は背景や思想を知るだけでよい、基礎をしっかり勉強しなさい、と言っている。受けはよくない。地道に研究して「なるほど!」という感動を求める時代ではないのかもしれない。しかし、華々しい一流ブランド製品の心臓部を町工場の職人が作っているように、研究の場でもコツコツと職人技術をはぐくむ努力は必要であろう。だから筆者は微生物学や植物二次代謝、脂質生化学といった日本の伝統産業をサポートする体制こそ重要だと思っている。「微生物ってやるじゃん」と面白がる若者が増える研究をせねばならない。今のところ、それに一番成功しているのは漫画「もやしもん」である。

境界領域にいるということ

有田正規 「境界領域にいるということ」 CBRCニュースレター巻頭言, Vol.26, 2009

自分の仕事の話をすると「研究のほうは地味なんですね」とよく言わ れる。その真意はさておき、研究はどうあるべきかを問うならば、やはり 地味でよいと思う。バイオインフォマティクス(BI)は様々なジレンマを抱 えた分野である。生物学と情報学の狭間、ミクロとマクロの視点の狭間、 そしてサービス業と学問の狭間。いずれの側に偏りすぎても、BIとい う言葉の範疇からは外れてしまう。うまくバランスを取らないと、一世を 風靡する勢いが数年後には風前の灯、という場合すらある。では研究の 方向性の良し悪しはどう判断すればよいだろうか。それは歴史から学ぶ しかない。どんなにコンピュータが発達しようと、人間の発想はほとん ど進歩がない。昔の文献をよく読むと大抵のアイデアは出ていて、それ を機器の進歩にあわせて変奏している場合が多い。新しい変奏を付け 足すのではなく5年10年経ってから変奏してもらえるような、シンプルな 発想こそ重要だろう。  

有田研究室が「代謝化合物のデータベース」という頭を使わなさそ うなテーマに取り組む理由は、まず、化合物のデータは100年経っても 価値が変わらないからである。5年で陳腐化する遺伝子アノテーション 等とは寿命が違う。また、世の中に良いデータベースが無いことも理由 である。化学関連のデータベースは殆どが有償で、ゲノム情報のように 無償のものは少数派である(最近ようやく変わりつつある)。誰でも 自由に使えるデータを少しでも増やす努力は重要である。しかし最大の 理由は、こうして整理したデータを用いて、代謝における生命現象の 基本原理を解明したいからである。いまの作業はその長い準備段階に あたる。

 お手軽な研究がうける時代である。面倒くさい処理や手続きはそれ が正しい道筋であっても敬遠される。長らく代謝ネットワークの研究を してきたが、代謝は原子レベルで解析しないと駄目だという主張には みんな賛同こそすれ、面倒なために実践してもらえなかった。主張する だけでは駄 目で、良いデータベースを設計し、使いやすいデータを提供 したほうが結局勝つのだとわかった。そういう研究は時間がかかる し、地味でもある。しかし、地味ながらも観察するとなかなか完成度が 高い、という研究がよい。

タダ乗りしてもらう精神

JSBiニュースレター 2012.09.01 巻頭言


今年のJSBi年会は多くの新しい試みを導入しました。昨年度に引き続くCBI学会との合同開催ですが、今年はOmix医療研究会および数多くの若手有志による研究会とも合同開催します。更に若手研究会セクション、ポスター会場、企業ブースは全て一般公開します(入場無料)。学部生は全セッション参加無料です。(大学院生には少々の支払いをお願いしています。)メイン会場のセッション構成についてもCBI学会と独立に企画するのではなく、両学会合同という方針にこだわって企画してきました。

しかし、開催前ではありますが、学会や研究会の融合の難しさを痛感する1年でもありました。企業とのつながりが強いCBI学会と科研費に依存してきたJSBiとの間には思った以上に大きな隔たりがあります。学会の設立目的はほぼ同じはずですが、役員等も重なりがありません。またJSBiの若手会員からは年会発表するメリットを見いだせないという意見を多く聞きますし、今年のポスター投稿数も少ないと言わざるを得ませんでした。なぜでしょうか。年会長として至らなかったところはご容赦願いたいのですが、思いつくのは研究発表の場の多さです。国際会議やオンライン雑誌が盛んななか、年会(しかも英語発表)にメリットを感じないのは当然です。また、会員特典もほとんどありません。JSBiは学会誌を持ちませんし、国際学会の優待割引などもありません。

従来、学会の大きな役割は自分たちの手で発表の場を作り出すことでした。しかし基礎研究ですら商業化されつつある現在、これまで学会が果たしてきた機能はほとんど商業化されています。情報収集はインターネットがあれば十分ですし、お金さえ出せば(しかも研究費から支出できる)リゾート地で開催される国際学会で発表できます。ではなぜ国内学会なのか。廃止論も含めて様々意見があるとは思いますが、私は一言で社会との繋がりのためと考えています。JSBiもCBIも今の若手研究会と同様に小さなグループからスタートしました。国際的な研究動向が幸いして科研費もつき、現在我々が利用するデータベースやツールを整備し、無償公開できました。これらのリソースは先人たちの努力があって実現できたもので、当たり前の帰結ではありません。商業主義の世界で当たり前なのは、基本的に有償、そして粗悪品すら出まわる状況ではないでしょうか。我々が学会を維持しているのは、そのような波にさらされる中で先人たちの努力を今後も維持し続けるためと言えます。このためには、会員にはボランティアとして活動に参加してもらう心構えが必要になります。

バイオインフォマティクスに携わる研究者を代表する組織がなくなれば、分野として存在がなくなります。分野の代弁者がいないと科研費も来なくなります。もちろん、海外グラントや国際会議、より一般にはオープンサイエンスに「タダ乗り」して研究を続けられる優秀な若手も多いとは思います。しかし、そうした優秀な若手が優秀と認められるためにも、国内産業の活性化・産官学の連携が重要であることに異議を挟む人はいないはずです。ですから優秀な人たちにこそ長期の継続可能性について考えてもらい、日本が今後もタダ乗りを提供し続けられる国であり続ける方策を考えてもらいたいのです。オープンサイエンスの思想や枠組みについては現在日本もタダ乗りしつつある状態です。しかし、潜在的能力としては国内企業、さらには欧米にタダ乗りしてもらえる力を我々は持っているはずですし、持たねばなりません(それを基礎研究と呼ぶのです)。

会員の皆さんには今後のJSBi、さらには学会という組織がどうあるべきかを考えていただきたい。そのためにも是非年会に参加して様々な意見を出していただきたい。とりわけ真剣に考えたいのは産業との繋がりです。JSBiが科研費に寄生したアルゴリズム屋集団の様に思われているのは大変残念です。製薬や医療方面とも繋がりを太くし、バイオインフォマティクスを修めた人材がアカデミア以外で活躍できる環境を作れなかったのは、国策に依存しすぎたこれまでの失策が原因でしょう(もちろん学会の方針だけでどうこうできるものではありません)。学会としても方針転換すべき事項であり、もっと産業界からの意見を取り入れる、学会として若手人材の育成に力を入れる努力が必要です。会員の皆さんには年会以上に個人的メリットが少ない活動ではありますが、ニュースレターをここまで読んで下さる方々なので同意していただければ幸いです。

最後になりますが、年会ではぜひポスター会場、企業ブース展示をご覧になって下さい。場所は会場からエスカレータ等でだいぶ下った1階になります。興味ある口頭発表も多いとは思いますが、若手研究会に場所を無料で提供したり、学生を無料招待したりする活動費用の多くが学会活動に賛同してくれる企業からの収入で賄われています。タダ乗りするのではなく、してもらう精神でお願いします。

大会長の挨拶

2012年 JSBi, CBI, Omix 連合大会における挨拶文

日本バイオインフォマティクス学会(JSBi)、情報計算化学生物(CBI)学会、オミックス医療研究会の連合大会にようこそ。今年は更に、若手による学術団体との合同開催となり、生命医科学を支える情報学分野を俯瞰できる大会になったと自負しています。

複数の学会が共に発表できる場を用意することは思うほど簡単ではありませんでした。それぞれの学会には年会の規定がありますし、発表スタイルや伝統も異なります。また国内学会は衰退する傾向にあり、その存在意義すら問われています。JSBiは年会規定を変更して合同開催に合わせましたが、参加人数やポスター投稿数が少ないという問題にも悩まされました。しかし最終的にはポスター投稿数が164件に達し、希望者の中から口頭発表12件を選びました(採択率50%)。基調講演にはそれぞれ次世代シーケンシング、合成生物学の第一人者であるJun Wang博士(Beijing Genomics Instit.)とShawn Douglas博士(Wyss Inst. for Bio. Inspired Eng.)をお迎えし、他の招待講演XX件とあわせると、錚々たる発表者が並んでいます。若手団体には場所を無償提供することで大会を盛り上げる役割を担ってもらいます。更に学部生は参加費無料、大学院生も格安料金にしました。プログラムを見ていただくとよくわかりますが、スケジュールの都合上、魅力ある講演の時間が重なってしまうのが残念です。

SNSやツイッターで情報交換でき、国際会議や査読誌のハードルが低くなった現在、国内学会のメリットが何処にあるのかという意見をしばしば耳にします。参加者の皆さんには実際に人と会うことの重要さをこの場で実感していただければと思います。学問の国際化は必然ですが、海外を訪れる人達はいわば日本代表です。まず日本の活動を熟知していただかなくてはなりません。そのための国内学会であり、そのために学会横断型の連合大会を企画しました。日本は小さな国です。この分野の研究者を全員集めたところで高々千人程度でしょう。その人数が三々五々に別れて発表会をおこなうより、一堂に会する日が年に一度あっても良いと思います。

連合大会を企画したもう一つの目的が、産業界とのつながりです。今回は33社にご協力いただきました。ブース24件、企業セッション8件が企画されています。とりわけ企業人にとって国内研究者が集結する場は重要でしょう。欧米に比較して日本の学術界は閉鎖的です。研究者一人ひとりが、自分たちの研究は社会に支えられていること、そして社会に成果を還元する責務があることを肝に銘じて活動したいと思います。今回、企業のブースとポスターを全て一般公開する試みもおこなっています。会場レイアウトの都合で階が異なるのですが、企業ブースおよびポスター会場には必ず立ち寄っていただき、国内の研究を俯瞰してみて下さい。

最後になりますが、新しい試みに挑戦していくには皆さんの積極的な参加とフィードバックが重要です。運営形態や内容について様々な御意見をいただければと思います。そのためにもまず、大会を思う存分楽しんで下さい。

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