User:Aritalab/Masanori Arita/Publication/Kagaku
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掛け算思考から足し算思考へ
(岩波「科学」ウェブ広場2010年1月20日)
小学校では掛け算よりも足し算を先に習う。しかし人間本来の思考には、足し算よりも掛け算の方が馴染んでいるのではないか。例えば物事の状況や変化を捉えるとき、我々は絶対数より割合(パーセンテージ)表記を好む。子供は比較や比喩を用いた相対的概念ならすぐに理解する。今回の事業仕分けでも、常に「何%減」という表現が用いられていた。ここでは現在値の何倍かを議論する方法を「掛け算思考」と呼ぼう。これに対して、誤差や給料の議論には絶対値を用いる場合が多い。何円アップ、ダウンというように現在値との差分を議論する考え方を「足し算思考」と呼ぼう。世の中を見渡すと、多くの現象は掛け算思考で捉えられている。自然界の物理法則や化学法則はE=MC2のように掛け算で表現されるので、当たり前と言われればそうかもしれない。
ここで話が逸れるようだが、少し数学の話を聞いてもらいたい。ランダムウォークという理論である。あなたが原点に立っているとする。コインを投げる度に、表が出たら現在値プラス1、裏が出たら現在値マイナス1に移動する。公平なコインをn回投げたとき到達する位置の分布(確率分布)を考えよう。(1/2)n-1の確率で全部表か全部裏が出るので原点からnステップ離れた点まで移動はできるが、大方は行きつ戻りつして原点近くに戻る。そして原点を中心とした釣り鐘型の分布(正規分布に近い二項分布)になる。だから我々の給料を固定幅でランダムに変動する制度にしたら、大多数の人が平均的給料を受け取り、ごく小数が極めて少ないか、多くの給料を受け取ることになる。
これに対して、表が出たら右に現在値×105%、裏が出たら現在値×95%に移動してみよう(5%という幅自体は重要ではない)。このプロセスが作成する位置の分布を考えると、原点側に大きく偏った分布(べき分布に似た対数正規分布)とわかる。つまり、給料を常に±5%でランダムに変動する制度にしたら、大多数が非常に少ない給料を受け取り、上を見たらきりがない位高額の所得者が増える(いわゆるパレートの法則やロングテール現象)。我々が普段よく耳にする格差社会や二極化といった現象は、掛け算思考の結果として生み出されやすい。 事業仕分けや研究費配分の問題点は、予算という限られた資源に関する議論であるにもかかわらず、掛け算思考で予算編成が進められ、報道されたところにある。「何割減」という表現では実際の削減額が見えにくく、他事業との規模比較も難しい。例えば麻生政権末期、わずか30の新規課題に2700億円を配るプランがあっさり決定した。極めて多くの労力と痛みを伴った事業仕分けで廃止または見送りとされた全事業の10年度予算要求額もちょうど計2700億円である。絶対値重視の足し算思考なら、削るべき個所はおのずと明らかであろう。(2700億円計画は現在、30課題1000億円に減額された。)
足し算思考に基づくコスト意識は創造性とも相反しない。例えば、自分の研究従事時間(エフォート)を意識的にマネジメントする能力は、自立した研究者にとって重要である。これと研究費をリンクさせて、予算申請には額に見合う量の研究者エフォートを集める必要がある、としてはどうだろう。研究費とエフォートがリンクすれば、大型機器は大人数の共同申請・利用が当たり前になるし、おのずと研究におけるコスト意識が芽生えるのではないだろうか。